ここでは東北地方の人気パワースポット達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)について記しています。
断崖に建てられた懸崖(けんがい)造りの達谷窟毘沙門堂と
岩壁に彫られた岩面大仏でお馴染みの達谷窟毘沙門堂は、
1200年もの歴史を持つ岩手県でも有名なパワースポット!
世界遺産の中尊寺や毛越寺からアクセスしやすい立地なので、
世界遺産観光に加えてこちらの達谷窟毘沙門堂を参拝するのがおすすめ!
ということでここでは、
達谷窟毘沙門堂のご利益って?
最強のお札って何?
達谷窟毘沙門堂で頂ける3つの御朱印について
達谷窟毘沙門堂境内の見どころ
参拝所要時間について
参拝前に知っておきたい達谷窟毘沙門堂の歴史
達谷窟毘沙門堂のアクセスと駐車場
についてお話していきたいと思います。
達谷窟毘沙門堂には悪鬼邪神を払い福を招くとされる、
牛玉寳印(ごおうほういん)というお札があり、
この牛玉寳印は別名「最強のお札」と呼ばれています。
はたして、その最強のお札とは一体どんなお札なのか?
そのあたりも踏まえてじっくりお読みになってみてください。
では早速見ていきましょう~
達谷窟毘沙門堂のご利益とは?
達谷窟毘沙門堂ではこれらのご利益があると云われています。
では、境内のどこでどんなご利益が得られるのか?
もうちょっとだけ詳しく見ておきましょう。
床下の広い空間は再生のパワースポット
断崖に建てられた達谷窟毘沙門堂の床下には広い空間があります。
この空間はその昔、戦で敗れた武士が身を隠し、のちに生まれ変わって再生していく場として用いられていました。
このことから、
達谷窟毘沙門堂には再生のご利益があり、
生まれ変わりたい人に人気のパワースポットとなっています。
ちなみに現在では、
祖先の霊がこの世に戻り集う神聖な場所とされ、
立ち入りが禁じられた禁足地となっていますので
残念ながら実際にこの床下の空間に立ち入ることはできません。
ので、なるべく近くでパワーを頂くようにしましょう!
毘沙門天は勝負運の神様
達谷窟毘沙門堂のご本尊は毘沙門天。
毘沙門天と言えば武運の神様として勝運や勝負運にご利益があることで有名です。
達谷窟毘沙門堂に関して言えば、
坂上田村麻呂公が征夷大将軍として蝦夷を平定できたのは、
戦の神である毘沙門天様が天から降り坂上田村麻呂公に味方したからだとされ、
その戦勝は毘沙門天様のおかげだとし、
108体の毘沙門天をお祀りしたほどですので、
勝負運のご利益が欲しい方は、
必勝祈願に達谷窟毘沙門堂にお参りされるといいですね。
また、達谷窟毘沙門堂の毘沙門天様には、
縁結び・子宝・学業成就・財宝・官位・知恵・寿命にも
ご利益があるとされていますよ!
蝦蟆ヶ池辯天堂の辯天様は金運商売の神
達谷窟毘沙門堂の目の前には、蝦蟆ヶ池辯天堂(がまがいけべんてんどう)があり、こちらには辯天様がお祀りされています。
んで、この辯天様なんですが、
金運や商売繁盛にご利益がある神様とされていて、
「藥師、辯天には銭上げて拝め」
と言われるほど商家から厚く信仰されてたんだとか。
達谷窟毘沙門堂の最強のお札とは!?
さてさて、達谷窟毘沙門堂のご利益が分かったところで、
続いては気になる
「最強のお札」
についてです。
正式名称は「牛玉寳印(ごおうほういん)」という護符(ごふ)で、
悪鬼邪神を払い福を招き、諸々のご利益に授かれるというありがた~いお札!
ところで、最強って?
なんて気になる方もいるんじゃないかと思いますが、
この牛玉寳印(ごおうほういん)というお札は、
修正會(元旦~八日まで)において、21箇座の加持祈祷を経てようやく出来上がる護符で、一枚一枚手刷りでつくられるお札。
です。
そんな手間も時間もかけてようやくできるお札だからこそ、
ご利益も大きく、最強のお札!なんて言われるのかなと、あくまで個人的な考えですがそんな気がします。
数に限りがあるお札のため、年によっては9月頃には売り切れてしまうこともあるようなので、きっと求める人が多いんでしょうね。
達谷窟毘沙門堂で頂ける3つの御朱印
達谷窟毘沙門堂では、達谷窟毘沙門堂の御朱印と蝦蟆ヶ池辯天堂の御朱印、そして姫待不動堂の御朱印の3種の御朱印を頂くことができます。
入口の鳥居の手前右側にある寺務所で頂けますので
御朱印集めをなさってる方はそちらで頂きましょう。
達谷窟毘沙門堂の御朱印
中央に達谷窟毘沙門堂、左側に別當達谷西光寺と墨書きされたもの。
直書き
蝦蟆ヶ池辯天堂の御朱印
中央に蝦蟆ヶ池辯天堂、左側に別當達谷西光寺と墨書きされたもの。
直書き
姫待不動堂の御朱印
中央に姫待不動明王、左側に別當達谷西光寺と墨書きされたもの。
直書き
達谷窟毘沙門堂境内の見どころ
ここからは達谷窟毘沙門堂境内の見どころについて見ていきたいと思います。
実はここ達谷窟毘沙門堂には参拝の順路があり、
その順路通りに参拝するよう推奨されていますんで、
その順路についてと、参拝所要時間についてもお話しておきますね。
寺務所
達谷窟毘沙門堂の入口横にある事務所。こちらで拝観料をお納めして中に入りましょう。
拝観時間 ⇒ 8:00~17:00(無休)※11月4日~3月18日の間は16:30まで
一之鳥居八石之鳥居(いちのとりい はいしのとりい)
寺務所のすぐ目の前にある最初の鳥居。
達谷村(たっこくむら)の3人の石工(いしく)によって達谷石(たっこくいし)を用いて造られたもので、江戸時代に建立。
辯財と書かれた扁額とずっしりとした感じが印象的です。
二之鳥居八丹之鳥居(にのとりい はにのとりい)
壱之鳥居をくぐるとすぐに赤い鳥居がありますが、それが二之鳥居で、「達谷霊窟」の扁額が掲げられた珍しい形をした鳥居。
もともとの二之鳥居は昭和30年に失われてしまい、現在の鳥居は平成10年に再建されたもの。
手水鉢
二之鳥居をくぐると、いかにも年代の古そうな手水鉢があります。
古くはこの手水鉢でお清めしていたんでしょうかね。
こういったものでも長い歴史があることを感じさせてくれるますよね。
三之鳥居八杉之鳥居(さんのとりい はさんのとりい)
二之鳥居と同じ形をした鳥居ですが、二之鳥居と比べると淡い色合いの鳥居となっています。
明治初期に一度失われてしまい、現在の鳥居は平成10年に再建されたもの。
達谷窟毘沙門堂|参拝順路①
三之鳥居をくぐるとすぐ右側に断崖に建てられた懸崖造りの達谷窟毘沙門堂が見えてきます。
延曆20年(801)に窟に籠る悪路王、赤頭・髙丸を打ち破り、
蝦夷を平定した坂上田村麻呂公が、
戦に勝てたのは毘沙門天様の御加護だとし、
戦勝の御礼に京の清水の舞台をモデルとして九間四面(きゅうけんしめん)の精舎(しょうじゃ)を建てました。
そして108体の毘沙門天をお祀りし、国を鎮(しず)める祈願所として窟毘沙門堂(いわやびしゃもんどう)と名付けたのがこちらのお堂です。
堂内は撮影禁止のため画像はありませんが、
階段を上がって堂内に入ると、お線香の香りが漂い、
中央の正面を見ると多くの毘沙門天像が安置されており、
とても身の引き締まる思いがしました。
達谷窟毘沙門堂の狛犬
達谷窟毘沙門堂へと続く階段の前には狛犬も。
そのお姿から長い年月この場所にいることが伝わってきます。
鬼の相撲場
達谷窟毘沙門堂の上部にある一部突き出した形をした部分が鬼の相撲場です。
悪路王の家来が相撲を取った土俵と伝わっているそうですね。
岩面大仏|参拝順路②
達谷窟毘沙門堂の階段を下りて右側の岩面を見上げると、
こちらの岩面大仏(がんめんだいぶつ)があります。
一瞬どこだどこだ?となりますが、すぐに見つかると思います。
高さ約16.5m、
顔の長さ約3.6m、
肩幅約9.9m
これだけの大きさがあった岩面大仏は、全国でも五本の指に入る大きさで、
「北限の磨崖仏(ほくげんのまがいぶつ)」として有名。
前九年後三年の戦乱で亡くなった敵味方の諸霊(しょれい)を供養する為、
源義家公が馬の上から弓矢を打ってこの大仏を彫った
という伝説があるんだとか。
そんな岩面大仏も残念なことに、
明治29年の地震によって胸から下が崩落してしまうことに。
また、今でも摩滅(まめつ)が進んでしまっており、
早急な保護が必要なんだそうです。
大切な文化遺産なので、いつまでも残しておきたいですね。
蝦蟆ヶ池辯天堂|参拝順路③
達谷窟毘沙門堂の境内には池がありますが、その池に浮かぶように建てられた赤いお堂が、蝦蟆ヶ池辯天堂(がまがいけべんてんどう)です。
参拝順路としては、蝦蟆ヶ池辯天堂の後ろを回り込み、赤い橋を渡って参拝するのが正式な順路なので、お間違いのないように。
んで、ここ蝦蟆ヶ池辯天堂はどんなとこなのか?
ってことですが、
こちらは慈覚大師(じかくたいし)が、五色の蝦蟆の姿である貧欲神(とくよくじん)を捕らえ、
逃げないように一間四面(いっけんしめん)のお堂を建立し、
蝦蟆を降伏する白蛇(宇賀神王)を冠に頂く辯財天女をお祀りし、
蝦蟆ヶ池辯天堂と名付けたもの。
金運商売の神として信仰が厚く、知恵の神、技芸の神としても有名。
ちなみに、こちらの辯財天女、
とっても嫉妬深いとされているため、
カップルで参拝する場合は別々に参拝をするという習わしがあるのでご注意を!
なんだか、蝦蟆とか、辯財天女とか、金運商売の神とか、カップルは別々に!とか、このあたりは、日本三大弁財天で知られる江島神社と似ていますね。
姫待不動堂|参拝順路④
その昔、悪事を働いていた悪路王(あくろおう)は、
京からさらってきた姫君を窟上流にある籠姫(かごひめ)に閉じ込めていたそうです。
そして、逃げようとする姫君たちには行く手を阻む滝があり、
その滝を人々は「姫待瀧(ひめまちのたき)」と呼んだそうです。
なんとも切ない話ですが、
その姫待瀧をご本尊としてお祀りしたのが姫待不動尊で、のちに、藤原基衡公が再建します。
桂材の一木彫りで全国でも珍しい大師様不動(だいしようふどう)の像は、
平安後期に造られたもので岩手県の有形文化財に指定。
寛政元年(1789)に現在の地に移されました。
厄除け、火伏せ、眼病にご利益があり、生涯一度の大願も叶う!と伝わっているそうですので、こちらも忘れずに参拝を!
写真をご覧いただくと分かりますが、
その屋根からは草が生えているほどで、そういったことからも長い年月の経過を感じさせてくれました。
鐘楼堂
蝦蟆ヶ池辯天堂から姫待不動堂から向かう途中、姫待不動堂の少し手前にこちらの鐘楼堂があります。
私が参拝している間は鐘が撞かれることはなく、残念ながらその音色は聞けませんでしたが、
運が良い人は鐘の音を聴くことができるかもですね。
金堂|参拝順路⑤
御神木の松で刻まれた薬師如来がご本尊の金堂(こんどう)。
身体堅固、病気平癒、延命長寿、諸願成就にご利益があり、
「ヲンコロコロセンダリマトウギソワカ」
と唱えて祈るといいんだそうですよ。
ドクロの杖を持った像
金堂での参拝を終えて戻って行く途中に、こちらのドクロの杖を持った像がポツンと。
なんの像なのかは分かりませんでしたが、そのお姿から察するに、女性の像のように見えましたので、
もしかしたら悪路王によってさらわれてきた姫君の像なのかもしれませんね。
達谷窟毘沙門堂の参拝は順路どおりに!
達谷窟毘沙門堂の境内はご神域とされ、殺生禁断地(せっしょうきんだんち)で動植物の採取は厳禁。
さらに参拝は案内板どおりに順路に従って参拝することが求められています。
んで、その参拝順路ってやつですが、
達谷窟毘沙門堂境内の見どころをご紹介している中で、
参拝順路①から⑤まであったかと思いますが、
その順路どおりに参拝をすればOKです。
つまり、
という順。
境内には順路を示す案内板がありますんで、それの通りに進めば大丈夫ですよ。
達谷窟毘沙門堂の参拝所要時間
この記事でご紹介した見どころを見て回った場合の参拝所要時間は25分です。
この日は雨が降っていたこともあり、
ゆっくりとした参拝はできませんでしたが、
特に急いで参拝したわけでもありません。
ご参拝計画のご参考になさってもらえればと。
参拝前に知っておきたい達谷窟毘沙門堂の歴史
達谷窟毘沙門堂のご由緒について、その歴史を要点を絞って載せておきますね。
■約1200年前 | 悪路王(あくろおう)という悪者が、赤頭(あかがしら)、高丸(たかまる)という蝦夷の仲間とともに、女性や子供を誘拐し乱暴するという悪行を働いていた。それを見かねた人皇五十代桓武天皇は、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)にし、蝦夷征伐の命令を下す。 |
■延曆20年(801) | 坂上田村麻呂は窟で守りを固める悪路王ら蝦夷の軍勢を激戦の末に打ち破り、蝦夷の平和を取り戻す。 |
■窟毘沙門堂を建立 | 坂上田村麻呂は、蝦夷との闘いに勝てたのは毘沙門様のおかげであるとし、その戦勝のお礼に京都の「清水の舞台」をモデルとした窟毘沙門堂を建立し108体の毘沙門様をお祀りし鎮護国家の祈願所とした。 |
■延曆20年(802) | 別当寺として達谷西光寺を創建。奥真上人が開基。 |
■源頼義公・義家公が戦勝祈願 | 前九年後三年の戦乱の際、源頼義公と義家公が戦勝祈願のため寺領を寄進する。 |
■奥州藤原氏七堂伽藍を建立 | 奥州藤原氏初代清衡公と二代基衡公が七堂伽藍を建立する。 |
■文治5年(1189) | 鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」によると、源頼朝公が奥州合戦の帰り道に毘沙門堂に立ち寄り参拝する。 |
■延徳2年(1490) | 火事で焼失してしまうものの、七郡の大守葛西家によってすぐに再建される。 |
■天正の兵火 | 断崖に建てられた毘沙門堂の除いてほぼすべて焼失してしまう。 |
■慶長20年(1615) | 伊達政宗公により毘沙門堂の建替えが行われる。 |
■毘沙門堂全焼 | 昭和21年(1946) 隣家から出火した火によって毘沙門堂が全焼。ご本尊を含む約20体は幸いにも救い出された。 |
■昭和36年(1961) | 5代目となる現在の毘沙門堂が再建される。 |
■慈覺大師作の秘仏 | 内陣の奥に御本尊毘沙門天・吉祥天・善師童子が秘仏として納められる。 ※次の御開帳は令和24年の予定 ※内陣:寺院の本堂や神社の本殿の奥にある、御神体やご本尊を安置するところ。 |
中尊寺と毛越寺、ぶなの恵みでお水取りも!
達谷窟毘沙門堂にご参拝の方に是非おすすめしたいのが、
黄金に輝く金色堂が有名な
「中尊寺(ちゅうそんじ)」と、
「特別史跡」と「特別名勝」の二重の指定を受けている
「毛越寺(もうつうじ)」を参拝すること。
この2つはどちらも世界遺産になっています。
朝早くに東京を出発すれば、
・毛越寺
・達谷窟毘沙門堂
の3か所を夕方までに参拝することが可能です。
ちなみに九星気学のお水取りをしている人は、
こちらに加えて
でお水取りもおすすめです!
東京駅を午前7時台に出発すれば、
ぶなの恵みでお水取りをして、
その後に
中尊寺、
毛越寺、
達谷窟毘沙門堂
を参拝しても夕方までには終えることができますんで。
ちなみに、
一泊二日の日程を組めるなら、
その2日目に岩手県花巻市にある
丹内山神社
へ参拝するのがおすすめです。
日本書紀や古事記には登場しない謎の神「アラハバキ」がお祀りされている
知る人ぞ知るパワースポットでご本殿の彫刻も圧巻です!
達谷窟毘沙門堂のアクセスと駐車場
達谷窟毘沙門堂の行き方と基本情報についてまとめてみました。
達谷窟毘沙門堂の基本情報
■所在地 | 岩手県西磐井郡平泉町平泉字北澤16番地 |
■TEL | 0191-46-4931 |
■最寄駅 | JR東北本線「平泉」駅 |
■駐車場 | あり |
■御本尊 | 毘沙門天 |
■創建 | 延曆20年(801) |
■行事 | 元旦~8日:修正會/毎月3日:月例祭/正月14日:枩焚祭(どんと祭)/旧3月3日:春季大祭/旧9月3日:秋季大祭 |
■ホームページ | https://iwayabetto.com/top.html |
達谷窟毘沙門堂の行き方
達谷窟毘沙門堂の最寄駅はJR東北本線「平泉」駅なんですが、
歩いて達谷窟毘沙門堂に向かう場合、平泉駅から約1時間15分ほど歩かなくてはなりません。
私の場合は東京から新幹線で行きましたので、
「一ノ関」駅で下車してそこからレンタカーで中尊寺、毛越寺を参拝し、そのあと達谷窟毘沙門堂に。
(毛越寺から達谷窟毘沙門堂までは車で約7分ほどです。)
達谷窟毘沙門堂周辺には中尊寺や毛越寺などの人気観光スポットがありますんで、
それらすべてに参拝するためにも
個人的にはこの方法が一番おすすめかなと思います。
この他にもいろいろと毛越寺のアクセスを調べてみましたんで参考になさってみてください。
新幹線で「一ノ関」駅 → (約20分) → 岩手県交通 厳美渓線(渓泉閣前行)バスで「達谷窟」停下車で達谷窟毘沙門堂へ
( )内は乗車時間
岩手県交通 厳美渓線は本記事投稿日時点では運休中のためバスは利用できません。再開されたらこのアクセス方法で行くことができます。 岩手県交通ホームページ
新幹線で「一ノ関」駅 → (約7分) → JR東北本線で「平泉」駅へ ここからタクシーに乗り約10分で達谷窟毘沙門堂
( )内は乗車時間
新幹線で「一ノ関」駅へ行き一ノ関駅前でレンタカーに乗車 達谷窟毘沙門堂まで車で約20分ほど。
ナビで「岩手県西磐井郡平泉町平泉字北澤16」をセット。東北自動車道「一関IC」で高速降りたら一般道を進むこと約10分。
浦和ICから一関IC 420km(約5時間)
仙台ICから一関IC 102km(約1時間10分)
盛岡ICから一関IC 94.3km(約1時間)
達谷窟毘沙門堂|まとめ
最後におさらいです。
達谷窟毘沙門堂のご利益って?
再生・勝負運(必勝祈願)・商売繁盛・縁結び・子宝・学業成就・財宝・官位・知恵・寿命。
最強のお札って何?
牛玉寳印(ごおうほういん)というお札で、修正會(元旦~八日まで)において、21箇座の加持祈祷を経てようやく出来上がる護符。郵送でも頂けます。
達谷窟毘沙門堂で頂ける3つの御朱印について
達谷窟毘沙門堂と蝦蟆ヶ池辯天堂、そして姫待不動明王の3種の御朱印が頂けます。
達谷窟毘沙門堂境内の見どころ
国指定史跡である懸崖造りの達谷窟毘沙門堂と岩面大仏は必見。注意しなくちゃならないのが、カップルは蝦蟆ヶ池辯天堂は別々に参拝することと、参拝順路に従って参拝すること。
参拝所要時間について
境内は特別広いわけではないので、30分ほどあればすべて見て回れます。
参拝前に知っておきたい達谷窟毘沙門堂の歴史
達谷窟毘沙門堂の歴史を要点を絞って載せておきましたので是非ご参考に。歴史を知ってると参拝もより充実しますよ。
達谷窟毘沙門堂のアクセスと駐車場
公共の交通機関ではアクセスが良くないので、主要駅からレンタカーまたはタクシーを利用するか、車で行くのがおすすめ。
って感じでしたね。
東北地方のパワースポットとして人気の達谷窟毘沙門堂。
懸崖造りのお堂は大迫力で写真で見るよりも感動的でした。
世界遺産に登録された中尊寺や毛越寺からほど近い場所にありますので、
世界遺産観光と一緒に達谷窟毘沙門堂も参拝なさってみては?